第1部    書家如流

 郷里を後にし、関東大震災に遭遇した如流は、物質的なものの果敢無さを痛感し精神的なものを求める決意をする。漢隷で一時代を築き、大字造形の新たな世界を切り拓き、晩年無為の境地に至る迄、どの作品にも俗臭や軽薄とは無縁の高潔な精神性が通底する。心と形の一致、現代に生きる表現を模索し続けた生涯であった。

          第1期      書・学修行の時代

吉田苞竹門を叩き、書学を深めながら書人としてのスタートを切った如流は、戦前の東方書道会展等で一躍その名を轟かせる。新進気鋭の域を遥かに超え、既に高い技量と高格な風韻を漂わせる当時の作品は正しく如流芸術の萌芽を物語るものである。天賦の才はここに大輪の開花を始めることとなる。
 
 
          第2期              漢隷の作家の時代

昭和三十八年の第六回新日展に発表した「杜少陵詩」によって如流は日本芸術院賞を受賞する。隷書作品へのたゆまぬ模索と試行の末に辿り着いたこの時期の作品は、「韋應物 石鼓歌」においても窺える様に、木簡の趣をも取り入れ「漢隷の作家」如流の名を恣にするのである。

         第3期   大字書の時代

戦後勃興した新しい書の気運は毎日書道展を舞台に急速に高まり、如流もまた手島右卿と共に少字数書という新たな世界へ身を投じる。厳しくも悠然たる線条、赴くままの運筆、古意を踏まえたおおどかな造形によって展開される精神性豊かな書空間は、唯一無比の孤高の世界となって屹立する。



             




          第4期   心形一致の時代

昭和五十四年脳血栓に倒れ右半身不随となった如流だが、懸命のリハビリにより奇跡的な復活を遂げる。以後不自由な右手での創作を余儀なくされるが、あるがままの現実を受け入れた清澄な境地から産み落とされた数々の作品は、不屈の精神力と生きる喜びに溢れた至高の書芸術として永遠の光を放ち続けている。




                   

 

 

第2部  書学者如流

如流は書学を実作者としての眼を通して論じる。西川寧と共に編集した「書品」を始めとする論考の数々は、それ故にこそ確かな説得力を持つのである。高い眼識によって蒐集された拓本・法帖類はもとより、多くの資料から考察された論考は書学の啓蒙、発展に多大な貢献を果たしてきたのである。

 






                                   

 

第3部     歌人如流

 若き頃より歌を好んだ如流は「覇王樹」を主宰する歌人としても知られている。自然との交歓、生への慈しみを詠んだ歌は、しばしば自詠自書の作品として発表されている。それらは漢字作品とは趣を異にした抒情的で清明な味わいを湛え、如流芸術の懐の広さ、奥の深さを垣間見せてくれる。



                





                                                                               
 

    



   折帖

如流は古典臨書の重要性を説き、門人が新奇のみに偏ることを嫌った。作品の為の手本を書くことは殆どなかったが、伝統のなかに息づく美、古今を貫く不変の美を感得させる為に、その指針として折帖を書き与えた。これらは手本であるにも拘らず作品と見紛うばかりの姿態を浮かび上がらせる。

  

  


   拓本

 永い時の流れにも色褪せない伝統の美に如何にしたら現代の息吹を吹き込めるのか。日々新たな気持ちで古法帖と向き合う如流にとって、古人の書は常に師であり友であった。技法を学びながらも更にその上の精神性、古の心を己の眼で感じ取ること。それこそが自己形成の道のりにおいて最も大切なことであった。 

                           



著述書・作品集・寄稿誌・題字・文房具・書簡・他

 人はその人間に相応しい交わりを持つ。書家は言うに及ばず、如流の親交の系譜は取りも直さずその芸術的魅力の深さ、境地の高さの証しである。川端康成が如流に自身の全集の外装紙すべての題字を依頼し、如流の古稀の個展に推薦の文を寄せた事実は、畏敬しあう芸術家の魂の交感を如実に示すものであろう。

                                            




 

        


         
             









                 如流語録抄 


  如流の文跡は夥しい量に上る。とりわけ芸術について、芸術家のありようについての記述には、平明な語り口でありながらも、その揺るぎのない理念が深い思索の世界に横溢する。真摯に綴られた思いの数々は、言霊となって、時代を超えて生き続けている。それは残された者への警鐘でもあり、道標でもある。


 




          私の道
       松井如流
     
 思えば、書の道はむずかしい。書には常に心と形とある。形を得ても心がこれに伴わぬことがあり、その反対に心があって形がそれについてゆけぬということもある。また形を支える点や線の働きが、本当に生きているか、どうか、いつも悩みぬくのである。かりに古い形を得たとしても、その表現が古代のそれでなく、現代に生き得るものでなくてはならない。そのように現代に生きる表現とはなにか。たんなる装飾性に富む派手な表現だけに終始し、心がそこにないならば、書の価値はどうなるのであろうか。いろいろの場にあって、いつも書の原点に立って考えようとするのだが、そうした苦悩と懐疑とを持ちつづけながら、少しでも心と形と一致した境地へと近づきたいものと念願しつつ、歩み来たった私の道をかえりみるのである。    (昭和48年9月)     
                                                                                                                                                                                         
                                                            






















 

第62回毎日書道展特別展示
生誕110年記念
松井如流

‐書・学一如の生涯‐

2010年7月7日〜8月1日
国立新美術館
主   催 ; 毎日新聞社 (財)毎日書道会
企画協力 ; 秋田県立美術館・東京書道会

編集 ; 「松井如流特別展示」実行委員会
制作 ; 印象社
発行 ; 毎日新聞社 (財)毎日書道会

「松井如流 書・学一如の生涯」記念図録 ※ 定価 3000円

記念図録
 
「松井如流 書・学一如の生涯」

記念図録「松井如流 書・学一如の生涯」内容紹介    ※各前文文責  鈴木響泉